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『風待ち』によせて
 
 寺山修司の逝った年齢に私もとうとうなってしまった。
 1980年代半ばに札幌で予定されていた「演劇実験室◎天井桟敷」の公演は、寺山が亡くなったため、中止になったという。
 私はこの話を札幌の劇団の稽古場で聞いた。
 1988年のこと。バブル経済の真っ只中。当時、私は二十歳の大学生で、そのとき稽古していた芝居が実質、私の初舞台だった。
 それから十数年後に、私の所属していたその劇団の主宰者が寺山と同い年で亡くなった。
 なのでなんとなく、自分にとってこの年が「節目」という気がずっとしていた。
 今まで何度か試みて、しかし書けなかった「青春」の話を改めて書いてみたいと思った。当時を懐かしむ気持ちがないではない。けれど、むしろケリをつけたい。時代は一巡りして、奇しくも今のいろんなことが、「あの頃」と似ていなくもない。
 そんな思いが私をして、この戯曲を書かしめたのだという気がする。 
 「若さ」というのは常に事後的に「発見」されるものだ。

 
 本日はご来場くださり、まことにありがとうございます。
 まもなく開演いたします。
 どうぞ最後までくつろいでご覧ください。
ピタパタ代表 今井一隆
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